カトリーヌ・ドヌーヴを家母長とするフランソワ・オゾンの夢の母権ユートピア〜『しあわせの雨傘』

 フランソワ・オゾンの『しあわせの雨傘』(Potiche)を見てきた。日本では既に公開されているらしいのだが、イギリスでは先月公開されたばかり。

 で、話自体はよくあるブルジョワ女性の自立コメディ。舞台は1977年、ヒロインは横暴な雨傘工場経営者ロベールの満たされない妻スザンヌ。夫がストライキに対応しているうちに倒れてしまったため、そのかわりに会社を切り盛りすることになる。創業者の娘で頭も切れるスザンヌは工員たちから好かれるようになって工場経営は順調に進み、その間に議員で市長で元の愛人であるモーリスと焼けぼっくいに火が付きそうになったりもするのだが、療養をすませた夫が帰ってきて一変。夫に会社をとられたスザンヌは今度は議員に立候補して当選する…というのがあらすじ。

 こういうブルジョワ女性の自立の話は(例えばワーキングクラスの女性を扱った『メイド・イン・ダゲナム』とかと違って)、うまく処理しないとヒロインのブルジョワっぷりが鼻について陳腐な感じになってしまうと思うのだが、なんといってもスザンヌ役がカトリーヌ・ドヌーヴなので…この映画はスザンヌがジョギングをすると周りに動物が集まってきてそれにスザンヌがやたら大げさに反応するという全くディズニーの姫かなんかみたいな王女度全開の場面から始まるのだが、これを見た瞬間これはドヌーヴさまの映画なんだなと思ったな…最後の選挙に立候補するあたりからはかなり駆け足なのだが、ドヌーヴの存在感に異常に説得力があるのでなんか納得させられてしまう。最後に有権者に"Mes Infants!"(私の子どもたち!)と呼びかけて母権的政治(?)を訴えるとこはちょっと恐ろしさすら感じたな…

 で、これを見てなんかたぶんフランソワ・オゾンは強大にして優しい多産な(多産というか、淫らなというべきか)女神的家母長が君臨する母権政に何かユートピア的というかフェティッシュ的とも言えるあこがれを抱いていて、ドヌーヴはオゾンの思い描く理想の家母長なんだろうなと思った。はっきりとは描かれてないのだがスザンヌの息子ローランはバイセクシャルで、一方娘のジョエルは非常に保守的な性格で家庭でもトラブルを抱えているのだが、怒ってばかりのロベールと違ってスザンヌは清濁あわせのんで何でも受け入れる器の大きさがある。しかもこのスザンヌは一見夫の暴虐に耐える清楚な妻みたいなのだが実は若い頃は隠れていい男どもと浮気しまくっていたようで、フラれた上議員の座まで奪われたモーリス(ジェラール・ドパルデュー!)もまだスザンヌを愛してるみたいだし、いろんな意味でカリスマ的で豊潤な女性である。『8人の女たち』でもオゾンはドヌーヴを真ん中にして女ばかりの家族(父親はすぐ殺されちゃう)を描いていたし、『僕を葬る』は「父親は弱いが女はばあさんになるまで強いのだ」みたいな話だったし、全部きちんと分析してみたらいろいろ類似点が出てきそうな気がする(ただし前作の『リッキー』は見逃しちゃったんだよな…そのうちDVDで見る)。

 で、こういう家母長制への憧憬ってオゾンに限らずゲイ男性のクリエイターによる作品ではよく見られるのではっていう気がしている。少し年上だがアルモドヴァルはまさにそうだろうし、『クィア・アズ・フォーク』もなんか「父より母が強いのだ」みたいなところあるし、見てないけど『ソーディッド・ライヴズ』とかもそういう話なんでしょ?精神分析はちょっとごめん被りたいところだが、何かこういうクリエイターたちは母についてポジティヴな経験でも共有しているんだろうか。

 あとこれは内容とは全く関係ないのだが、ドパルデュー演じるモーリスの役職が英語字幕では"Mayor"で"MP"だということになっていて、ドヌーヴに奪われたのはMPの座だけらしい。フランスの地方公共団体って市長とMPをかねられるの?ちょっとそのへんよくわからなかったのだが…あと、ドパルデューの硬派な左翼で目端が利く政治家でもあるのに女にかけては純情でボンクラ同然の中年男っていうキャラクターはかなり可愛かった。とくにディスコでドヌーヴと踊る場面の可愛らしさはすごかったので、あの場面だけで映画館に行ったもとがとれると思ったな。