グローブ・トゥ・グローブフェスティヴァル、トルコ語版『アントニーとクレオパトラ』

 グローブ・トゥ・グローブフェスティヴァルでトルコ語版『アントニーとクレオパトラ』を見てきた。お客さんはトルコ語ができる人ばかりでえらいノリがいい。

 役者が出て来た途端に会場から拍手が起こったのだが、どうもアントニー役のHaluk Bilginerはトルコではスターで、イギリスでも80年代に『イーストエンダーズ』の色悪キャラでお茶の間の人気者だった役者らしい。そういえばトルコ系は若者も多い感じだったけど英語をしゃべってるお客さんはおばさま・おじさまが多かったような気もするな…ただ、普段グローブとかに来ないお客さんが多かったみたいで、途中で写真を撮って怒られている人が多かった。


 トルコ語なので台詞はもちろんわからないのだが、すごく良いプロダクションだったと思う。原作の戯曲はすごく演劇性というか登場人物が意識的に自分を劇化する様子を克明に描く作品だと思うのだが、このテーマに正攻法で対処していて好感が持てる。あと、前にラウンドハウス座で見た上演はカットの仕方がかなりめちゃくちゃで話の通りがとても悪くなっていたし、ローズ座で見た時も政治的な場面がばんばんカットされているところは気になったのだが、このプロダクションでは喜劇的な場面をなるべく残してかつ話の通りが良いようにカットしていてわかりやすい。

 アントニー役のハルク・ビルギナーはいかにも魅力的だがだんだん仕事がうまくいかなくなってきている中年男性という感じで、感情の起伏がとにかく激しく(言っちゃ悪いがこれは実は男性の更年期の表現なのか…と思った!)、根が優しいところと癇癖が強いところの両方を持ち合わせていてだんだんその癇癖が制御しきれなくなって失敗してしまう道行きをよく表現していたと思う。完全にブチ切れてサイディアスを鞭打たせるところとかかなり怖いが、その後クレオパトラに泣かれるとすぐ謝ってしまったり、男たちの世界では必要以上に威張ったりするのだが女の前では実に弱いのである。このあたり、アテネかエジプトで引退して愛する女と私人として暮らしたいと願うアントニーというのは実は男社会の犠牲者の一人なのかもなと思えてくるところもある。


 クレオパトラ役のZerrin Tekindor(ゼリン・テキンドルと読むのかな?)はとにかく魅力的だったと思う。この芝居のクレオパトラはすんごくセクシーで頭が良くてかつ面白おかしいという珍しい役柄だと思うのだが(そこらの戯曲や映画に出てくる女性でこの三つを兼ね備えている役柄って少ないじゃない)、ゼリンは始終客席を笑いの渦に巻き込みつつ色気を発散しまくっていてこれが私の見たいクレオパトラだ!という気がした。全体としてゼリンのクレオパトラは、目の上にエジプト風のすごい広面積のマスカラを派手に塗りたくるなど厚化粧であるところも含めてもともとの戯曲のクレオパトラドラァグクイーンというかfaux queen(意識的に女のフリを女、女の体にとらわれたドラァグクイーン)らしいところを強調しており、クレオパトラと侍女や宦官たちのやりとりはドラァグショーかバーレスクみたいな何とも言えない喜劇味がある。

 演出のほうは、エジプトの場面はずっと喜劇的にする一方、最後のアントニークレオパトラの死の場面だけを急転直下でとても悲劇的にしてギャップで客の心を打とうという演出をしていた。最後、クレオパトラが死ぬところでアントニーの亡霊が後ろのほうから現れるところはセンチメンタルっちゃセンチメンタルだが、あんなにいがみ合っていた泥沼の2人はやはり心の底では愛し合っていたんだな…ということをお客さんに印象づけるという点では非常にわかりやすく私はかなり好みだった。ローマの場面は笑いを少なくして政治家たちの冷たい暮らしぶりを強調するというような感じだったのだが、なぜか講和の宴会の場面だけはやたらはじけていて、政治家たち全員が酒を飲み音楽にあわせて踊り始める(マジメ人間のオクテーヴィアスまで!)という演出でちょっとびびった。この場面のレピドゥスの泥酔演出も過剰といえるくらい喜劇的だったのだが、こういうのはトルコの宴会の習慣を反映しているんだろうな…

 こういう感じでプロダクション自体は大変良かったのだが、電光掲示板のシノプシスがかなり手抜きというかわかりにくかったように思う。例えばよく演出で問題になる、クレオパトラがオクテーヴィアスに財産目録を差し出す→クレオパトラの財務官がその財産目録には隠蔽があるとすっぱ抜く→クレオパトラが怒って「抜けている財産はオクテーヴィアスの家族の女性への進物にとっておいたのだ」と怒鳴る、という場面があり、ここは普通、自殺の決意を固めたクレオパトラがオクテーヴィアスを騙すため財務官とグルになって芝居を打った(「進物をとっておいた→今後も生きるつもりなので自殺は警戒しなくて良い」とオクテーヴィアスは勘違いする)という解釈をとると思うのだが、このプロダクションのシノプシスは「クレオパトラは自殺の決意を固めました」→「クレオパトラオクターヴィアスを騙そうと財産目録を出します」→「召使いが嘘を暴き、クレオパトラは怒ります」という順番で出るようになっており、これではちょっとトルコ語がわからないお客さんは舞台で何が起こっているのかわからないんじゃないかと思った。おそらく演技の意図としてはクレオパトラは怒ったんじゃなく怒ったフリをしている(召使いとはグルだし)はずだと思うのだが、この英語シノプシスだとちょっとクレオパトラが本気で怒ったみたいで、自殺の覚悟があるのに財産目録を本気で隠すとかなんか意味不明だよね。

 最後にカーテンコール(カーテンないんだけど)写真をとったが逆光で見づらい。

 誰かがカーテンコールを撮影してたらしい。