ロックの未来は過去にしかないのか?サイモン・レイノルズ『レトロマニア―大衆文化の過去中毒』

 Simon Reynolds (サイモン・レイノルズ), Retromania: Pop Culture's Addiction to Its Own Past 『レトロマニア―大衆文化の過去中毒』(Faber and Faber, 2011)を読んだ。

Retromania: Pop Culture's Addiction to its Own Past
Faber and Faber Rock Music (2011-06-02)

 サイモン・レイノルズは以前ブログでとりあげたポストパンク・ジェネレーション 1978-1984』の著者で、あとThe Sex Revolts: Gender, Rebellion, and Rock ‘n’ Rollにも関わっており、私のお気に入りの音楽批評家なのだが、この本はけっこう分厚いんだけどとにかく面白く、かつおそらく現代のロックファンがかなり共有しているのであろう不安とか問題意識が明確に出ている本だったと思う。いろいろ欠点もある本で全部説得力があるというわけではないと思うのだが、とにかく面白い。

 この本が取り上げているのは、現代の大衆文化、とくにポピュラーミュージックにおいてとにかく新しいものを作り出す、革新、刷新、というような動きがあまり見られなくなり、過去のものを再構成するという動きが非常に強くなっているという潮流である。たとえば今高く評価されているアーティストで、過去への臆面もない参照をやってないアーティストというのはあげるのが難しいくらい少ない。ジャック・ホワイトはガレージリヴァイヴァルだし、レディ・ガガは80年代のシンセポップのリヴァイヴァルだし、アデルやエイミー・ワインハウスは60年代のブラックミュージックの歌姫を明らかに参照しており、ヒップホップやR&Bは過去のものをサンプリングする。レイノルズはこうした中で作られている音楽を楽しく聞いてはいるのだがそれに完全についていけないとも感じているようで、この本は現代の大衆文化がいかに過去に取り憑かれているか、を音楽を中心にいろいろな側面から考えるというものである。

 レイノルズは「レトロ」という概念を以下の四点をもって定義している(pp. xxx-xxxi)。

(1)レトロは比較的近い過去を参照する。
(2)レトロは広い意味でのアーカイヴ記録をたくさん用いて過去の正確な再現を目指す。
(3)レトロは大衆文化の産物を対象にしたものである。
(4)レトロは過去を理想化も感傷化もせず、むしろ過去を面白がったり魅了されたりするものである。

 レイノルズはまず第一部では過去の音楽に関するいろいろな映像などがウェブで誰でも利用できるようになったり、ロックその他のポピュラーカルチャーが蒐集・整理などの博物館的興味の対象になりはじめていることを解説している。ここには'Turning Japanese'と題する章が入っており、日本の音楽シーンがUKなどに比べてそこまでオリジナリティ崇拝をしておらず、昔の音源を保存して研究するとかいうことが盛んでロックバンドがコピーやカヴァーから始めるのが一般的だが、こういう日本的なロック観が英語圏にも広がってるのではないか…というような指摘をしている。このあたりはちょっとJポップのファンからすると単純化しすぎと見えるところもあるかもしれないと思うので、誰か批判的に検討してほしいかも。

 第二部では実はこういう「過去の参照」とか「記録へのこだわり」というのが最近だけの減少ではなく、そもそもビートルズくらいの時期からあったし、パンクロックなんかもかなり過去を志向するところがあった…という話になってくる。とくに面白いのはグレイトフル・デッドのファンであるデッドヘッズに関する分析である。グレイトフル・デッドは即興演奏が醍醐味のバンドで、ファンがライヴを自由に録音して交換するのを許可していた(録音する人たちはテーパーと呼ばれる)。テーパーは他のデッドヘッズと違ってライヴに没入して踊ったりせず、生音を楽しむどころかヘッドホンをつけて良い音質でライヴを録音するのに専念していた。こういう、過去にはグレイトフル・デッドのテーパーみたいな少人数で共有されていた「音楽を何でも記録しないといけない」という執着のようなものが現代では多数の人に共有されているようになっていてそれがレトロの文化を創り出している、というような議論がなされており、そこは非常に面白いと思う。

 ただしこの本にもけっこう難点はある。あまりにもたくさんの題材を扱っているのでまとまりに欠ける点があり、とくにレトロへの執着は最近非常に増えた現象だっていう論点と、実は結構昔からあったという一見相反する論点をうまく接合する議論があまりなされていないように見える。iPodとかYouTubeとか現代の技術と音楽の関わりについても若干、分析が浅いようにも見える。それからこういう「ある芸術形式が発展すると過去への参照が盛んに行われるようになる」というのは美術史や演劇史でも言われることだと思うのだが、そういう他ジャンルにおいて既に行われている歴史研究への接合もあまりなくそのへんも物足りない。

 しかしながら全体としてはいろいろ興味深い論点を含んでおり、現状のポピュラーミュージック、とくにロックが既に古いジャンルになりつつあるのではないかという漠然とした不安を抱いている人にはものすごくおすすめできる本である。まあ私が思うに、ロックというのは既に革新ではなくアーカイビングと正典化の時期に来ているのだと思う。これだけ昔の音源が利用できるようになった今、後世まで残るのはどのミュージシャンか、決めるのは我々の仕事である。そしてそれはそれでエキサイティングな音楽体験であるとも思うのである。