ボロボロのローマ、傷を受けるトム・ヒドルストンの美しい肉体〜『コリオレイナス』NTLive

 日本橋のTOHOシネマズで、トム・ヒドルストン主演でドンマーウェアハウスでやってる『コリオレイナス』のNTLive上映を見てきた。

 まず、一言目に言うべきこととして、とにかく字幕のレベルが低い。詳しくはtogetterまとめを見てほしいのだが、はっきり言って金をとれるレベルの字幕ではない。あれ、英語がわからない人はちゃんと話の意味を字幕だけで追えたんだろうか…?訳し抜けが多いのは、字数の関係があって芝居の字幕ではよくあることなのでしょうがないとしても、そもそも日本語になってないような文章がけっこうあり、誤字がとにかく多い。「愚昧」が全部「愚妹」になってて、コリオレイナスが「愚妹な民衆…」とかいうたびに「民衆はお前の妹じゃない!!」とツッコミたくなった。あとコリオレイナスとオーフィディアスが組むことを決める場面で「武男を分け合い…」とかいう字幕が出るんだが、武男って何だよ。武勇だよ。

 しかしながらプロダクションのほうはかなり面白かった。ドンマーウェアハウスのあまり広くない空間をうまく生かしており、後ろの壁に政治的なグラフィティを映し出すなど、生々しくて効果的だ。ただ撮影のほうがイマイチで、あの空間の親密感をちゃんと映し出してないとは思ったが…やはり生のほうが映像よりずっといいだろうとは思う。

 この演出の特徴は、かなり役者の肉体の生々しさを前面に押し出してきて、それをローマの政治と重ね合わせているところだろうと思う。メイキングでも言っていたが、ジョシー・ルークの演出はこの芝居の台詞に出てくる肉体にまつわる表現を非常に重視している。舞台上でコリオレイナスにシャワーを浴びさせたり、逆さ吊りにしたり、血糊をたっぷり使って床にバラまいたり、役者の肉体をそのまま台詞に出てくる生々しい身体に関する語彙とリンクさせるような演出が多い。この芝居は政治劇であって、登場人物が舞台で傷を負ったりするのはローマという誇り高いが多数の矛盾も抱え込んだ「国体」自体が傷を負ってボロボロになっていく姿と重ね合わされている。そういう芝居において、トム・ヒドルストンの美しい肉体(!)をふんだんに使い、傷を負う国体としてのローマを想像させるというのはちょっとズルいけど上手い。この上演は傷メイクがかなりエグく、ヒドルストンの体がぱっくり切れて出血する様子がけっこう生々しいメイクで表現されているのだが、全体的に血が流れるとか、身体の開口部から何かが出てくるというのがローマの境界のゆらぎと重ね合わされているような気もした。最後、けっこうヒドルストンが派手に泣くのだが、コリオレイナスの目から涙が流れ出し、その後にコリオレイナスが逆さづりにされすごい出血で死ぬという一連のシークエンスは、一見、和解で守られたように見えるローマとヴォルスキの境界が実はほとんど決壊していることを示しているんじゃないかと思う。ものとものと分ける境界が消失した、不安の時代の到来である。

 私はあまり『マイティ・ソー』のロキ役とかが好きじゃないのだが、この芝居のトム・ヒドルストンはとても良かったと思う。セリフ回しが美しいし、動きにも品があるのでシェイクスピア役者としてはそれだけでけっこう評価高い。コリオレイナスにしては若くて線が細すぎるようにも思ったのだが、それがかえって意外性というか新規性をもたらしていて効果的だ。ヒドルストンのコリオレイナスは非常に若々しくて経験からくる狡知みたいなものがないので、やたらに今までの成功におごって傲慢に振る舞ってしまうというのも若さゆえということで説得力ある気がする。私、コリオレイナスが粗末な格好で民衆にアピールするのを頑なに拒む場面が以前からピンと来ず、どうしてあんなに嫌がるんだろうと思っていたのだが、軍服をはぎとられたやたら繊細そうなヒドルストンが粗末な格好で民衆の前に現れて、まるで寒いジョークをかましてしまった道化のように居心地悪そうにしてる場面を見ると、ああそうかこの人は軍服を脱ぐとただの繊細一途な若造になってしまうからあんなに嫌がっていたのか…というのでなんとなく納得してしまい、同情すら覚えた(きっと私がスーツ着ろとか化粧しろと言われるのが嫌なのと同じなんだろう、とも思った)。全体的にヒドルストンのコリオレイナスは、経験による円熟を伴わない若い青年将校で、それゆえ全く現実が見えず、過剰な反民衆思想やマスキュリニティの誇示へと堕ちて失敗していくという感じで、かなり悲劇味があったように思う。明らかに間違っているがその道を歩まざるを得ない人、というのは悲劇の王道テーマなので、見ていてやっぱり面白い。

 一方でこの芝居はそういう傲慢さが政治的に極めて危険であるということも示している芝居で、マーク・ゲイティス演じる飄々とした老獪な政治家メニーニアスは、笑いの要素がない真面目ちゃんであるコリオレーナスを相対化するような位置にあり、この芝居にバランスをもたらしてると思う。デボラ・フィンドレイ演じるコリオレイナスの母ヴォラムニア役も素晴らしく、息子に権力を身につけさせることで自己実現しようとする母親役を非常にうまく演じていた。一方、民衆とか護民官の演出にはちょっと疑問が…護民官の片方を女性にしたのはよかったと思うのだが、あんなふうに安っぽくいちゃつかせたりする必要はあったのかな?この芝居のテーマである政治的対立をうまく描き出すためには、もっと民衆や護民官のほうにも尖った演出をするべきだったと思うのだが。そうでないと、単なる若者の自滅を描く悲劇になってしまうし。


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