21世紀にもなって、男と家庭以外に人生ないの?〜『ゴーン・ガール』(ネタバレあり)

 デヴィッド・フィンチャー監督の新作『ゴーン・ガール』を見てきた。一言でまとめてしまうと、かなり積極的につまらなかった…

 あらすじはいたるところで書かれているしネタバレ注意作であるのであまり詳しくは説明しないが、とりあえずヒロインであるエイミー(ロザムンド・パイク)が不審な状況のもとで失踪し、夫のニック(ベン・アフレック)が警察に届け出るところから話が始まる。ところがだんだんニックがエイミーに暴力を振るったり浮気をしていたらしいことがわかってきて、ニックが怪しいという話に。しかしまた状況が変わって…というふうに、「信用できない語り手」を使いながらいろいろとどんでん返しがある映画である。

 で、これ以降はネタバレになってしまうのだが、この映画はとにかく「狭い」作品で、そこが私は観ていてうんざりした。以前、カーメン・カリルがフィリップ・ロスを批判して「自分の小さい関心事で広大な部屋を埋め尽くしている」(his small things take up oceanic room)と言ったことがあったが、まさにこれはそういう映画である。ヒロインのエイミーは自他ともに認める聡明で美しい女性なのに、とくに仕事をして金を稼いでいるところとか、趣味の活動をしているところとか、打ち解けた女友達とくだらない騒ぎをしているところとかは一切登場せず(エイミーは自分以外の女をだいたいバカにしている)、自分の男と親、言ってみれば性的関係と家庭以外全く何にも関心が無い女性として描かれている。おそらくは『完璧なエイミー』という児童書シリーズを書いている親の悪影響なのだろうが、エイミーは完璧な家庭に取り憑かれており、良いほうでも悪いほうでも夫のニックとの関係にものすごいリソースをそそいでいる。これは完全に好みの問題だろうと思うが、いくら憎い夫をハメるためでも、仕事とか他の友人関係とかを放り出してここまで一人の男との性的関係に全リソースを投入できるというのは「情熱的ですねー」としか言いようがない(家庭以外に仕事とか趣味とか友人がある女なら、夫との関係がダメになっても他に人生があるからあんなことしないだろう)。まあ、異性愛で一夫一婦的な性的関係に全リソースを注ぐのが古典的な「完璧な女性」であるとすれば、エイミーはこの映画においては悪巧みをしている時ですら徹頭徹尾完璧な女性であると言えるだろう。その意味でこの映画は夫婦関係の恐ろしさと、女性が性的関係によってのみ自分を規定することの危険性をうまく描いている映画であるとは言えるかもしれない。

 しかしながらもう今は2014年である。エマ・ワトソンが国連でスピーチし、ネットで地球の裏側の人にメールが送れる時代だ。そんな時代になってまで、現代劇で男と親のことしか考えてない女の映画なんか別に見たくはない(他の人は見たいみたいだが、少なくとも私はうんざりする)。『ゼロ・グラビティ』を見た時、世間では女性中心のSF映画として評判が良かったんだが私は「宇宙に行ってまで妄想の男が必要なのかよ…」と非常にうんざりしたのだが、『ゴーン・ガール』も同じように思った。例えば愛のみで自分を規定した末、男との性的関係を清算するために犯罪を犯して逃げおおせる女というのは既に1940年の『月光の女』なんかにも見られるモチーフであって(この映画は最後ヘイズコードのせいでとってつけたようなつまらない結末が無理矢理加えられているが)、まあヘイズコードがなくなったせいでもっと面白い描写ができるようになったというのはあるが、そうは言っても40年代にベティ・デイヴィスがこなせたようなネタを結末だけ変えてやられてもねぇ…という気はする。

 とはいえ、ロザムンド・パイクの演技は素晴らしいし、演出はスリリングだし、あと車の中でBlue Oyster Cultの (Don't Fear) The Reaperが流れるところなんかはすごく音楽の使い方がうまくてよかった。ニール・パトリック・ハリスやタイラー・ペリーの使い方もいい。とくにつまらない映画というわけではない。