ローリーン・スカファリア監督『ハスラーズ』を見てきた。部分的に実話をもとにした犯罪ものである。
一応、メインのヒロインであるドロシー(芸名はデスティニー、コンスタンス・ウー)が、犯罪がバレた後に過去のことをジャーナリストのエリザベス(ジュリア・スタイルズ)に話すという枠がある。デスティニーは年老いた祖母を養うためにストリッパーとして働いており、新しく働き始めたウォール街のビジネスマン向けストリップクラブでスターストリッパーのラモーナ(ジェニファー・ロペス)と会う。ラモーナは娘を育てるシングルマザーで、意気投合したラモーナとデスティニーは2人で組んで仕事をし、お金を稼いでそこそこ安定した暮らしができるようになる。しかしながらリーマンショックで不景気が訪れ、クラブは閑古鳥になる。ストリッパーをやめて子育てをしていたデスティニーも夫と別れることになって困窮する。久しぶりにラモーナと再会したデスティニーは、ラモーナからウォール街の男たちを騙してお金を巻き上げる計画に誘われ、ストリッパー仲間のメルセデス(キキ・パーマー)とアナベル(リリ・ラインハート)と組んで活動を開始するが…
とにかく面白くてシャープで、かつけっこうつらい映画である。この映画のいいところは、これまでのコンテンツでは恐怖の対象かただの悪として描かれがちだった男から金を盗むセックスワーカーという存在を、ものすごく厚みのあるキャラクターとして描き、社会批判を織り込んでありがちな構図を反転させているところだ。ここに出てくるストリッパーたちはまず勤勉な労働者であり、子供を育てるとか、老いた家族を養うとか、恋人の弁護士費用を払わないといけないとか、いろいろな責任を果たしながら暮らしている家庭人でもある。感情もあれば夢もあり、さまざまな面がある奥行きのある人間だ。しかしながら途中でラモーナが言うように、家族のために働く労働者がロクな暮らしもできない一方、ウォール街で成功している男たちは消防士の年金からかすめとったお金で安楽に暮らし、ストリッパーたちのサービスをとても適正価格とは言えないようなはした金を払うだけで楽しんでいる(この連中は人の体を買うという大それたことをしているのに、ちょっとばかりのチップが適正価格だと思っているのである)。この映画は労働者の仕事を安く買いたたいているウォール街の男たちのほうが無責任なんだ、ということをはっきり指摘している。つまり、女たちが男たちに復讐してスカっとしました、というところで終わるのではなく、拝金主義や性差別、格差社会に対する辛辣な批判を行いつつ、ビターな結末を提示しているのである。この復讐劇としてのスリルと社会批判の絶妙なバランスが、『ハスラーズ』と先行作の違いだと思う。セックスワーカーが女同士の絆で復讐をする痛快映画ということなら『女はみんな生きている』みたいな作品があるし、似たような犯罪を愚かな若者たちの悲劇として描いた『ひとりぼっちの狩人たち』とかもあるのだが、『ハスラーズ』はこのへんの映画から娯楽性と複雑さをいいとこどりしてバランス良くパワーアップさせたみたいな作品だ。
そしてこの映画は、出てくる女たちの描き方がものすごくリアルである。ヒロインたちはみんな魅力があるのだが、考えが足りないところ、世間慣れしていないところなどがけっこう容赦無く描かれている。夫に出て行かれたデスティニーが小売りの面接に行く場面では、ストリッパーではなくバーテンの経験があるフリをして販売・接客の仕事したことありますというようなことをアピールするのだが、たぶん精一杯、洗練された雰囲気に見えそうな格好で出かけた…のだと思うけど化粧や着るものがイマイチ派手で面接先の職場にハマってない印象を与えるようになっており、このへんはデスティニーの不器用さを暗示している(ああいう場所にあわない雰囲気の格好の求職者を面接で落とすということじたいに問題があるとも言えるのだが)。いきなり大金が入ったあとのヒロインたちの金の使い方もいかにも使い慣れてない感じで、家に子供がいるのに高い酒で乾杯して騒いで子供を起こしてしまったり、資産運用する前に「自分磨きに投資」してしまったり(まあルブタンの靴とか欲しくなるの、わからなくはないんだけど)、ストリートスマートな賢さと不器用さがすごく現実的なバランスで描かれている。そしてこんな欠点と魅力の両方を兼ね備えた主役を演じる4人の女優はとにかく素晴らしく息が合っており、ジェニファー・ロペスのカリスマが凄い。脇役であるダイヤモンド役のカーディ・Bとかリズ役のリゾとかママ役のマーセデス・ルールとかもみんなハマっているし、ちょっとだけ出てくるアッシャーはすごいいい人そうだ。
この映画は非常に音楽の使い方が考え抜かれている。最初にジャネット・ジャクソンの「コントロール」が流れるところをはじめとして、場面と音楽が必ずきちんと呼応するように作られている。盛り上がるところではR&Bやダンスミュージックで、ちょっと静かなところでは若干こじらせた文化系女性シンガーソングライター(ロードとかフィオナ・アップルと)の曲が使われているのだが、ヒロインたちの心が動くところではガチロマン派のショパンのピアノ曲が使われているというのも面白い。
とくに凄いのはラモーナが初めて出てきてクラブで踊るところで、ここの曲がフィオナ・アップルの「クリミナル」なのである。これはサウンドじたいはとてもセクシーな曲なのだが、歌詞をよく聴くと、魅力的なのだが何かメンタルな問題を抱えていて、会う男を全員精神的に虐待してしまう女が懺悔をするという痛々しくて暗い内容である(今の相手は初めて本気で愛しているので変わりたいということらしいのだが、聴いていて思うのは「この女、またやるな」ということだ)。言ってみれば、神秘化されがちなファム・ファタルが自分の視点で告白をするというような歌であり、これまでは魅力的だがある種の恐怖の対象だったストリッパーたちが主体的な人間として出てくるこの映画には大変ふさわしい選曲だ(その点、『ハスラーズ』は『シェイプ・オブ・ウォーター』と近いのかもしれない…というのも、『ハスラーズ』に出てくるみたいな女性たちは、今までの映画ではアマゾンの半魚人とどっこいどっこいの存在だったからだ)。そしてこの曲でラモーナが踊って男たちが喜ぶというのは、つまり男たちはこの深刻な内容の歌詞をあんまり聴いておらず、サウンドだけでセクシーだと盛り上がっていて、ぶっちゃけたぶんすごいアホだということだ。この曲の穏やかでない内容を理解せずに表面的なセクシーさだけで喜んでいる男たちは、ストリッパーたちについてもセクシーな外見しか見ておらず、彼女たちの中にいろいろ複雑な人格や知恵があることに気付いていない。だからこそこの男たちは騙されるのであり、言ってみればこの場面の選曲には「お前ら全員カモだから」という含みがあるのだ。
この「クリミナル」にあわせて踊る場面が代表例なのだが、ポールダンスをちゃんとした技術が必要なダンスとしてしっかり見せているところもすごく良い。ストリップクラブのポールダンスって、下手な監督が撮ると単にセクシーに体をくねくねさせているだけでダンスとしてどういう醍醐味があるのかよくわからない撮り方になることが多いのだが、この映画はラモーナがデスティニーにポールダンスを教える場面も含めて、ポールダンスが相当な技術を必要とする難しいダンスだということがしっかりわかるように撮っている。私の記憶ではマドンナが撮った『ワンダーラスト』にもちゃんとポールダンスの技術を見せる場面があり、ご丁寧にブリトニー・スピアーズの曲まで使われていたので(『ハスラーズ』でも別の曲だがブリトニーが使われてる)、たぶんスタッフの誰かがこの映画を見ているのかもと思う。