楽しいところはたくさんあるが、感覚が古い~『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』

 『シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!』を見てきた。エドモン・ロスタンが『シラノ・ド・ベルジュラック』を作る過程を描いたバックステージものである。ただ、かなり脚色があると思われる。

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 舞台は19世紀末のパリ、売れない詩人・劇作家のエドモン(トマ・ソリヴェレス)はサラ・ベルナール(クレマンティーヌ・セラリエ)に気に入られたことからスターであるコンスタン・コクラン(オリヴィエ・グルメ)の主演戯曲を急遽執筆することになる。あまり筆がすすまないエドモンだが、カフェの主人であるオノレ(ジャン=ミシェル・マルシアル)や友人である俳優のレオ(トム・レーブ)と接するうちにインスピレーションをもらってだんだん書き進められるようになる。ところがレオと衣装係のジャンヌ(リュシー・ブジュナー)の恋路を助けてラブレターの代筆をするうち、エドモンはどんどんジャンヌとの文通にはまってしまい…

 『シラノ・ド・ベルジュラック』の内容とエドモンの暮らしがオーバーラップしていくというのは、『恋におちたシェイクスピア』の二番煎じでまあ陳腐だがそんなにつまらないというわけではない。最後に『シラノ・ド・ベルジュラック』の舞台が(おそらくは観客の想像力で)舞台から外に飛び出してリアルな背景の中で展開するお話になるあたりはオリヴィエの『ヘンリー五世』などを思われるオーソドックスな演劇映画のテクニックだが、修道院や木のある庭などはなるべく綺麗な画面になるよう工夫されている。笑うところもけっこうある。また、なにしろ19世紀末の話なので初演にかかわった人たちの写真などが残っており、ポストクレジットでそういう画像や映像が見られるものよいところだ。

 ところが、基本的にはけっこう楽しい作品なのにところどころでやたら感覚が古くて寒いところがある。まずオノレが黒人男性で、とくに義理もないのにエドモンを助けてくれるというところは典型的なマジカル・ニグロで実にステレオタイプな表現だ。オノレ自身はなかなかキャラとしては良く、掘り下げたらもっと面白くなる可能性もありそうなのに、残念なところだ。さらにロクサーヌ役のマリア(マティルド・セニエ)の扱いがひどく、最初は文句ばっかりのディーバ風だったのが最後にコクランに対してなかなかいいことを言ってキレイに終わる…のかと思ったら、とんでもない扱いで退場させられ、ロクサーヌ役をジャンヌに奪われてしまう(この展開は『恋におちたシェイクスピア』の劣化版である)。ジャン(イゴール・ゴッテスマン)が舞台裏でセックスするくだりも、あれはフランス式のジョークなのかもしれないが、あんなことで緊張がほぐれるって、なんとなく舞台の大変さみたいなものをバカにしている気がする。さらにジャンヌに心が動いていたエドモンを妻のロズモンド(アリス・ドゥ・ランクザン)が最後に許すくだりは全く意味不明である。おそらく、ラブレター問題の真相を知ったジャンヌが何のためらいもなくエドモンをフって、エドモンもジャンヌは現実の女性でロクサーヌではないということを認識し、芝居と現実の違いに気付いて妻に謝るとかいう展開ならもっと面白かったのではないかと思う。こういう感じで展開にいろいろアラのある作品だった。

 

 なお、このへんは私以外にもやっぱり引っかかった方はおられたようで、KellyPaaBioさんもほとんど同じ箇所について指摘されている。あと、『恋におちたシェイクスピア』は、型にはまっているところはあってもやっぱりこの手のものとしてはデキが良かったな…という意識を新たにした。

 

恋におちたシェイクスピア(字幕版)

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  • 発売日: 2015/05/21
  • メディア: Prime Video