面白いが、やはり日本語にするのはキツいと思うところもある~『シラノ・ド・ベルジュラック』

 東京芸術劇場で『シラノ・ド・ベルジュラック』を見てきた。もともとはエドモン・ロスタンの有名戯曲なのだが、これはマーティン・クリンプが英語のラップを使った新しい台本に翻訳し、ジェイミー・ロイド演出、ジェームズ・マカヴォイ主演で上演したバージョンをもとにしている(これはとても好評で、ナショナル・シアター・ライブでも上映され、ロンドンでもちょうど再演されている)。これを谷賢一が日本語に翻訳し、コンセプトもかなり引き継いで上演したものである。

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 手触りはかなりロイドとマカヴォイのバージョンに似ている。どちらも段々のセットを使っており(見た目はちょっと違うが)、また登場人物がお互いに向き合ったり、触ったりするのが少なく、キャラクターが冷たい孤独に苛まれていることが強調されている。ただ、主演が古川雄大になっていることでかなり手触りが変わっている。マカヴォイのシラノは荒々しいスコットランド男が内に凄まじい劣等感や悲しみを隠しているというような感じだったのだが、古川シラノはもう少し若いし、また軍人になる前はヒップホップ少年だったみたいな感じで、繊細で鋭敏な少年が童心の良いところも悪いところもそのまんま抱えっぱなしで大人になったような雰囲気である。たぶんこのシラノは、クリスチャン(浜中文一)に自分がロクサーヌ(馬場ふみか)あての手紙を書いてあげると言った時、それがどういう結末をもたらすのかあんまり考えていなかったというか、無邪気な恋の衝動に近いもので誘惑にのってしまったのではという気がする。これはこれでマカヴォイ版と別の味があって良いシラノだ。

 全体的には面白い上演だったのだが、やはり難しいと思ったのは、セリフの一部がラップだということだ。そもそも『シラノ・ド・ベルジュラック』をイギリスであんなにちゃんとできたのは『ハミルトン』が大成功して、上演するほうも見るほうもその手のものをやる準備ができていたからだと思うのだが、日本では『ハミルトン』をやっていないので(『イン・ザ・ハイツ』はやっていたのだが新型コロナで途中で中止されたりしていて不運だった)、見るほうもやるほうもラップ芝居の経験があまりない。そういうこともあるのか、みんなでリズムをつけたセリフを言うところなどではちょっとズレていたりするし、台本も相当に頑張ってはいるがやっぱりこなれていないように思えるところも少しはある。『イン・ザ・ハイツ』の時は台本を作るためにラッパーのKREVAを雇ったらしいのだが、日本でもこの手の芝居をやる時はそれくらいやったほうがいいのかもしれない。