悪くはないのだが、「公認ドキュメンタリー」感~『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』

ドキュメンタリー 『デヴィッド・ボウイ ムーンエイジ・デイドリーム』を見てきた。ブレット・モーゲン監督による「デヴィッド・ボウイ財団唯一の公式認定ドキュメンタリー映画」である。ボウイの音楽はもちろん、映像がふんだんに使われている。

www.youtube.com

 だいたいはボウイの若い頃からゆるやかに年代ごとにキャリアを振り返りつつ、ボウイの音楽の中にある理念を見せてゆくというような構成である。ただし年代順といってもかなり自由で、映像の並べ方などは必ずしも時代順になっていないし、編集方針はかなり独特である。ナレーションによる説明とか、研究者やジャーナリストによる分析などは全くなく、完全に初心者ではなく既にボウイを知っている人に向けたドキュメンタリー映画である。映像は綺麗だし、音楽のチョイスも適切だし、ボウイのいろいろな発言をうまく引用して、その芸術家としての壮大なヴィジョンがわかるようにしている。

  しかしながら、これが既にボウイを知っている人に見せるためのものだとしたら、出てこないものとか扱い方のバランスに気付いてしまうのは当然である。ボウイの最初の妻であるアンジーはほぼ存在感ゼロなのに、やたらと二番目の妻で最後まで連れ添ったイマン推しで、ボウイがイマンへの愛を語るインタビューの一部がけっこう印象に残る形で引用されている。ドラッグ中毒で不調だった頃のことはほのめかし程度で、シン・ホワイト・デューク時代に薬漬けでファシストみたいな奇っ怪な発言をしたこと(プラス、後でそれについてかなり後悔していたらしいこと)は全く触れられていない。ボウイの業績の中ではかなり好みが分かれると思われるティン・マシーン時代についても触れていない。意欲的な試みであるのは間違いないが、全体としてボウイの遺族が触れてほしくないこと、不都合なことは語られていないと思う。非常に「公認ドキュメンタリー」感がある作品だ。