ニート男子がオシャレの力で肉食系女子を下すオスカー・ワイルド〜ボードビル座『理想の夫』

 ボードビル座で『理想の夫』(An Ideal Husband)を見てきた。面白かった、というかワイルドの風習喜劇が舞台で面白くないわけがない(ワイルドかシェイクスピアの喜劇を舞台にかけて客が笑わなかったら演出家は転職を考えたほうがいい)。原作を読んだり映画にしても面白いんだけど、やはり舞台で見るといっそう愉快で、この戯曲は本当によくできているなぁと思った。

 まあ、話としては結構登場人物も少ないし、どうってことない家庭劇である。上流階級のおしどり夫婦であるチルターン夫妻は清廉潔白だとして皆から尊敬されていたが、政治家である夫ロバートのほうは実は昔一度だけインサイダー取引をしたことがあった。そのネタをつかんだチェヴリー夫人はロバートを脅迫し、ロバートは潔癖な妻ガートルードにそれがバレないよう腐心する(ま、結局バレるけど)。いろいろあるのだが、夫妻の親友でロバートの妹メイベルの彼氏でもあるアーサーの機転で夫妻は難を逃れ、一件落着…という感じ(かなりはしょってあるけど)。


 私のイメージからするとちょっとチルターン夫妻が年をとっていたし、とくにガートルード役のレイチェル・スターリングはかなりドスのきいた声で、戯曲を読んだ時にはガートルードをなんとなく若くて世間知らずで潔癖な感じだと想像していた私には最初びっくりだったものの、中盤でガートルードが政治の話をしたり、若くてきゃぴきゃぴしたメイベルとおしゃべりしたりするのを見ているとむしろこのくらい年をとってしっかりした感じの女優のほうがいいのかもと思えてきた。首相になるんじゃないかと言われているような有力政治家の夫と、サロンの女主人で自分も政治活動をしているレディの夫妻なんだから、やはりかなり風格があったほうが舞台では映えるかも。一方でアーサーはいかにもやる気ないダンディという感じで、オシャレなのに全然風格がないのがよい。チェヴリー夫人役のサマンサ・ボンドは007シリーズに出ている女優さんらしいのだが、いかにも熟女って感じ。


 しかし、初めてワイルドの芝居を見てほんと驚嘆したんだけど、ワイルドの芝居って基本的に上流階級の家庭劇だし、個々の台詞だけ見るとすごくジェンダーや階級についての固定観念に乗っかってたりするので、上っ面だけ追っていると保守的な話みたいに見えなくもないんだけど、ひとつひとつのシチュエーションが意図的にものすごくヘンにしてあったり、「なんでこうなる」っていうひねりが加えられているので、全体を見ているとなんかすごい転覆的な話みたいに見えるのである。この表層だけ見ると軽薄だが、その下にすごい諷刺やパロディの海が広がっているというのはワイルドお得意のエピグラムに見られる特徴…なんだけど、ワイルドの芝居っていうのは拡張されたエピグラムなのかもしれないと思う。


 例えば、ワイルドの芝居っていうのは「女とはこういうものだ」「男とはこういうものだ」という台詞がすごい多いのだが、その台詞がどれもこれもなんかちょっとヘンで異常なまでに気が利いている。例えば『理想の夫』の第三幕で、チルターン夫妻は女子の高等教育を推進してるとかいう話になるとこがあるのだが、そこはこんな感じ。

チェヴリー夫人:「男性の高等教育のほうをお願いしたいものですわ。殿方には悲惨なくらい高等教育が必要です」
レディ・マークビー:「ええそうですわね。でも残念なことに、それって全然実用的じゃありませんわ。わたくし、殿方にはもうたいして良くなる可能性はないと思いますの」
 

 
 昨日の公演ではここで大爆笑が起こったのだが、ワイルドの芝居って全編こんな感じ。あと、最後のほうでロバートが自分を責めるガートルードに「男は女の欠点を承知で愛するのに、なぜ女は理想化した男を愛するんだ?」と怒るところがあるのだが、世紀末芸術ではこの台詞と全く逆に女性が男性によって常に理想化されていたことを考えるとこのへんの台詞は結構意味深だよな…

 あと、この芝居で一番すごいなと思ったのは、この芝居は「ニート男のアーサーがオシャレの知識を使って肉食系政治家女子のチェヴリー夫人をやっつける」という筋を持っていること。「男の力で女の浅知恵が敗退」とかいう芝居はルネサンスの頃から別に珍しくもないのだが、普通、浅知恵で政治をする女をやっつけるのは高潔で勤勉な男に役回りだと思うんだけど、この芝居に出てくるアーサーはまるっきり怠け者で政治には完全に無知、むしろ「家庭的」な幸福のほうに興味があり、かつオシャレに目がない高等遊民である。政治のことには目がきくが、オシャレはケバい一方のチェヴリー夫人は、洗練されたオシャレの知識がアーサーより不足していたせいで盗んだブレスレットを腕から外せなくなってアーサーに負けてしまう。オシャレは強い!!

 …そんなわけで見ながらいろいろなことを思ったのだが、ちょっとワイルドの芝居はつかみ所がなさすぎて私のようなガキには理解ができないんじゃないかと思うところも結構あった。あと二十年くらいたたないと完全に理解できるようにはならないかも。でも面白い!