18世紀英国、妄想歴女の冒険〜Charlotte Lennox, The Female Quixote; or, The Adventures of Arabella (女キホーテ、アラベラの冒険)

 誰も読んだことがないであろう18世紀の小説を読んだのでご紹介。

The Female Quixote: Or the Adventures of Arabella (Oxford World's Classics)(シャーロット・レノックス『女キホーテ、アラベラの冒険』、1752年)

 アラベラは18世紀イングランドのド田舎に住んでいるいいとこのお嬢さん。世間のことをあまりよく知らず、フランスの歴史ロマンスものばかり読んで育ち、こういうロマンスものは完全に史実に忠実だと信じ込んでいる。アラベラに惚れたいとこのグランヴィルが求婚してくるが、ロマンティックで妄想盛んなアラベラは歴史ロマンスのことなんか何も知らない現実主義的なグランヴィルを嫌い、身の回りで起こる全然どうってことないことがらを針小棒大に解釈してロマンスのヒロインのように振る舞って問題ばかり起こすので周りの人は大迷惑。しまいにはアラベラのことなんか何も考えていない召使いが自分を強姦しようとしていると思いこみ、逃げるためと称してテムズ川に身を投げて病気になってしまう。そこでアラベラを治療しにきたお医者さまは、アラベラに「歴史ロマンスは同時代に書かれたわけでもないのに、どうしてそういうものが史実に完全に忠実だと思うの?」などといろいろな質問を浴びせ、たくみな話術でアラベラに歴史ロマンスと現実は違うのだということをさとらせる。このことに気付いたアラベラは、真面目に自分を愛し続けてくれているグランヴィルと結婚することに決める。

 とりあえず、このヒロインのアラベラは超ムカつく女子である。二次元と三次元の区別があまりついてない世間知らずなトラブルメーカーのくせに(ドン・キホーテ涼宮ハルヒみたいな…)、すげー可愛い(+教養があって話が面白い)せいで周りの男性はアラベラが何をやってもけっこう許しちゃうし、とくにグランヴィルはこの自分につれなくするアラベラにメロメロである。グランヴィルの妹のミス・グランヴィルは男どもがアラベラに優しいのにかなりキレ気味で、私はこの小説を読んでいてミス・グランヴィルが出てくるたびにそうだそうだ!と思ってしまった。しかし、読んでいてこのろくでもないアラベラがたまに「あ、これちょっと可愛くない?」とか思えてしまうあたりがまたムカつく。

 このアラベラの妄想というのはたぶん文学とか映画が好きな女子なら誰でも経験するであろう、自分を主人公にして妄想するという思い出したくない自分史の肥大形なんだろうと思う。それが時にムカつき、時に可愛く見えるように書いてあるからなんだか非常にむずがゆい。ちなみに作者のシャーロット・レノックスはシェイクスピアの種本研究で有名な18世紀の研究者なのだが、若い頃に一時期女優を志して演技を酷評されあきらめたことがある。つまりご本人もロマンスのヒロインを志し、その失敗を封印して現実的な学術研究のほうにいったのだ…とかそういうことを考えながら読むとなかなか示唆的だ。

 で、私はこの小説は非常に21世紀でも読める内容だと思った。18世紀独特の書き方で読みやすくはないが、まずアラベラが今でいう歴女で、しかもフィクションを史実と思いこむという間違った方向にいっちゃってる歴女である。しかも歴史だけじゃなくその勘違いは恋愛にも及んでおり、現実の異性は物語に出てくる理想化された男性とは違うのだ、ということを全然理解していない。これ、現代でもフィクションの理想化された異性と現実の異性の差異についてよく理解していなかったり、歴史ものの小説やドラマを史実に忠実と思っちゃう人はたくさんいるよね?そういう問題を考える時の出発点となるのはもちろんセルバンテスの『ドン・キホーテ』だと思うのだが、これも『女キホーテ』というタイトルだけあってこの現実と虚構の区別がつかなくなるという問題をかなり正面から扱っていると思った。ただしセルバンテスとレノックスの間にはジェンダーの差異がある。ドン・キホーテの冒険は騎士としての戦いと名誉に関するものだが、アラベラの冒険は恋愛と純潔を守ることに関するものである。男女でこういうふうに妄想の表れが違うというのも興味深い。