溢れるエネルギーと異性配役〜『仁義なきタイタス・アンドロニカス』(ネタバレあり)

 カクシンハン『仁義なきタイタス・アンドロニカス』を見てきた。女役の男優の乳首がやたらに見えたり、銃撃虐殺エンドだったりするあたりが昨日見た『ロミオとジュリエット』とそっくりだったのだが、段違いに面白い。小さい小屋を所狭しと動き回る役者たちが、とにかくエネルギッシュだ。

 とりあえず疑問点はけっこうたくさんある。サターナイナス(丸山厚人)が一瞬だけ関西弁(あれはどこの関西弁なの?)だかなんだかになるのは非常に面白いがあれがあまりその後活用されてないのとか、着ているものはけっこう「仁義なき」ヤクザ風なのでもっとその要素をえぐい感じで強調してもいいんじゃないかとか、エアロンとラヴィニアを同じ女優に演じさせるのは何か善悪を相対化するつもりだったんだろうがそのあたりがはっきりしなくてかなり不消化だし慌ただしいとか、そのへんはかなりツッコミどころがある。

 しかしながら、全体的にはこういう細かい疑問点を補ってあまりあるパワーがあったと思う。サングラスに黒いスーツで出てきて、法をきちんと守っているとはとても言えないような私闘を繰り返すローマ人たちは実にガラが悪いが、セリフや場面展開はけっこうもとの台本をきちんとなぞっており、原作にある荒削りな暴力性を非常に効果的に表現していたと思う。ブラックユーモアに溢れていて残虐シーンが怖いだけではなくかなり笑えるというところも素晴らしい。タイタス(河内大和)の狂気などはヘタすると茶番になりそうでとても難しい場面だと思うが、悲惨さとブラックユーモアのバランスがよくとれていて演出も演技も申し分なく面白かった。タイタスとラヴィニアの父娘のやりとりなんかも非常に細やかに演出されている。

 なかなか興味深かったのはタモーラとエアロンがクロスジェンダーなキャスティングになっているところである。タモーラは『アントニークレオパトラ』のクレオパトラと同じでドラァグとしての女らしさを身につけているキャラクターだと思うのだが、この上演ではとくに厚化粧とかいうわけではないんだけれどもいかにも「人工的な女らしさを身につけた」女性として描かれており、一方でエアロンはラヴィニアとダブルキャストっていうのはあまり感心しなかったがこれもやはり浅黒い化粧とかはなしで演じているのにけっこう説得力がある。最後にタモーラがエアロンとの間に密通の子を産むところは、タモーラが全く自分の腹から生んだ子に対して愛情を示さないのに、ふだんは残虐で狡知に長けたエアロンが溢れんばかりの親の愛を示してそれゆえに破滅する、というところが強調されており、これは母のほうが父よりも子どもを気にかけるものだ、というステレオタイプを、異性配役をうまく用いてひっくり返していると思った。ところがこの子どもは、「子どもは殺さない」とエアロンに誓ったルシアス自らの手により密殺されてしまうのである。蜷川の『タイタス・アンドロニカス』では子どもが未来への希望を象徴するもの、残虐なこの芝居において人からなけなしの慈悲の心を引き出す源として表現されていたが、この演出ではそういう生やさしいことは全くせず、一見立派な人物であるルシアスですら子どもを舞台上で殺してしまうような非人道的行為を平気でするのだ、という容赦もない視点に立っている。このあたりのシビアさも、好みが分かれるところではあるがとても良いと思う。