若いのに、こんななのか〜東京乾電池『ゴドーを待ちながら』

 ザ・スズナリで劇団東京乾電池の『ゴドーを待ちながら』を見てきた。柄本佑柄本時生主演ということで、ウラジミールとエストラゴンがかなり若い。

 非常にちゃんとした『ゴドー』だと思ったのだが、とりあえず柄本兄弟が出てきた瞬間になんともいえない出オチ感があって笑ってしまった。最初だけやたらに棒読みで「芝居」感を強調しているのにあとからだんだん普通になってくる台詞回しとかは少し一貫性がなく、この間の『ハムレット』を思い出してしまってちょっとどうかな…と思ったが(最初の棒読みで全編ゴドーをやられたら私死ぬわと思って焦ったのもあったけど)、全体的には柄本兄弟の息がぴったりあっていて、笑えて絶望できるいいゴドーだったと思う。しかし、以前イアン・マッケランのゴドーを見た時は年老いたゲイカップルがもうろくしているみたいな感じだったのだが、これだけにせカップルが若いと、若いのにこんななのか…と思ってなんか絶望感がより大きくなる気がした。どこにも行き場がなくてどこに行っても忘れてしまう、悲惨な若さである。台詞では何十年も一緒にいると言っているので、長くてつらい時間をたっぷり生きてきたはずなのにまだ若く、首をくくる縄がないので死ぬのもできないって、おそろしい閉塞ぶりである。

 しかし、最初の棒読み台詞をきいていて、ゴドーとかツイッター使って上演したらいいんじゃないかな…と思った。