Bunkamuraで蜷川幸雄演出の『マクベス』を見てきた。「仏壇マクベス」と呼ばれているものの再演である。
舞台には「仏壇」というか観音開きの扉があり、これを最初にふたりのお婆さんが開けて話が始まる。このお婆さんは上演中、ずっと両脇に座っているので(話自体にかかわることはないのだが)、まるで全体が昔話か何かであるかのような枠が作られている。芝居自体のアクションが展開される奥のほうはさすがに仏壇ではなく、少し段差はあるがかなり広くなっている。観音開きの扉の前には格子の扉もあり、ここについては開けられずに格子越しにアクションが展開する場面もある。衣装は全て着物で、安土桃山風の豪華なものだ。桜の木が非常に印象的に使われており、バーナムの森は緑の木々ではなく満開の桜の森が行進してくるということになっている。
全体的にうっとりするような綺麗なマクベスである。最初、格子ごしに着物を着た三人の魔女が現れるところからして綺麗で、あやかしという感じはするがあまり怖くはない。『マクベス』は暗くて色のない芝居として演出することが多いと思うので、こういう色彩感溢れるマクベスというのは視覚的には非常に斬新である。バーナムの桜の森が攻めてくるところは台詞だけでもかなり喚起力があり、桜の枝を持った兵士たちが入ってくる絵柄はとくに綺麗で、かつ狂気とか儚さを連想させる。他にもマクベス夫人(田中裕子)の死後に夫人が着ていたキラキラの着物にマクベス(市村正親)がすがりつく演出などは見た目にも鮮やかだし、触覚とか嗅覚をそそるところもある。
役者の演技は皆よく、マクベス夫妻はもちろん、マクダフ(吉田鋼太郎)が妻子を失ったと知って嘆く場面などは涙を誘うし、マルカム(柳楽優弥)も良かった。全体的にわりと芝居がかった演出が多く、役者もそれに沿って演技していたように思うのだが、これはやはり歌舞伎などの様式美を意識しているのだろうと思う。また、『マクベス』は笑えるところが少ないのだが、たまに笑いがある演出も良かったと思う。
それで、この演出を見ていて気付いたことがあるのだが、『マクベス』というのは実は一神教の神が介在しなくてOKな芝居だということである。『マクベス』には魔女やら地獄の悪魔やらなんやらは出てくるが、マクベスが失敗して死ぬのは魔女の予言を信じたからであって、主体になっているのは魔女であって神ではない。作中何度か神の話は出てくるが、とりあえず妖怪変化は絶対に必要だとしても神による裁きとか報いは持ち込まなくても『マクベス』は演出できる。このあたりの宗教観のおかげで、『マクベス』を安土桃山の話にしてもとくに違和感が全くないのではないか…と思った。
個人的には、こういうひたすらキレイなマクベスよりは7月に見たパルコ劇場の佐々木蔵之介ひとり芝居版『マクベス』や、トラファルガーで見たジェームズ・マカヴォイ版の残虐な『マクベス』みたいな演出のほうが私は好きなのだが、この蜷川マクベスはとにかく視覚的快楽をここぞとばかりにたっぷり提供してくれる作品であるのは間違いない。