世界が終わるまではまだ時間がある〜『アルカディア』(ネタバレあり)

 シス・カンパニーによる『アルカディア』を見てきた。トム・ストッパードによる1993年の芝居で、英語圏では有名作なのだが、意外なことに日本初演らしい。

 この作品は「現在」と「過去」ふたつの時間軸が並行して進む。基盤となる「過去」は19世紀初頭のカントリー・ハウスで、数学について考えを深め続ける天才少女トマシナ・カヴァリー(趣里)、その家庭教師セプティマス(井上芳雄)、館の女主人でトマシーナの母であるレディ・クルーム(神野三鈴)、ヘボ詩人チェイター(山中崇)に、舞台には出てこないが屋敷の客として何度も言及される詩人のバイロンなどが絡んで、学問と愛とセックスのいりくんだ物語が展開する。「現在」では、この屋敷にあいかわらず住んでいるカヴァリー一族と、ここに滞在して本を書いている女性作家ハンナ(寺島しのぶ)、ハンナと同じ時期を専門にしている学者のバーナード(堤真一)が、19世紀初頭に起こったことをいろいろな史料から明らかにしていく様子を描く。

 セットはカントリー・ハウスを模したもので、ただ入退場するための出口がたくさん確保されているのが特徴である。この芝居は最後に「現在」と「過去」両方の登場人物が違う時間軸の中にありながら同時に舞台に出てくる演出があるので、入退場のルートをきちんと確保しておかないと見た目がものすごくごちゃごちゃする。この舞台では両側の他に、後方のベランダだかテラスだか(建築用語に疎いのでそういう言い方ではないのかもしれない)からも出入りが行われる。ベランダの向こう側には物語のキーとなる、改築予定の庭園が広がっているという設定だ。

 この作品は、20世紀後半に書かれた英語の芝居としてはおそらく最も評価が高い作品のひとつである。たしかに実際の上演を見ていると、歴史を扱った芝居としては台本のほうはほぼ完璧だと思えるくらいよくできている。台詞のひとつひとつまでよく気が配られており、露骨にではなく、観客に想像させるやり方で少しずつ情報を明らかにしていく。「現在」のほうでは調査をしている連中が間違った判断をしたりもするので、見ている観客は「現在」に過剰に引っ張られないようにして見ないといけない。

 作品のテーマのひとつは、「世界の終わりまでまだ我々には時間が残されている」ということだと思う。トマシナがいろいろな研究の末、世界がやがては終わってしまうという仮説を提示するのだが、この作品じたいの最後は劇中でほのめかされている破壊的な火事(=燃焼による世界の終末)ではなく、ワルツを踊る人々で終わっている。これは世界の終わりまで、人間には運動する時間がまだ残されているという含みがあり、いくぶん明るい結末といえるのではないかと思う。ワルツは回転する運動であり、終末の時間がやってくるまで我々は悲観せずに運動を続けることができる。

 もうひとつのテーマとして、記録を残すこと、調べることの重要性と、またそこからこぼれ落ちていくものの重要性というのがあると思う。手紙のようなものから狩猟記録まで、「現在」の人々はあらゆる史料を使い、一見つまらないように見える記録からも大事な証拠を見つけて、過去に起こった出来事にある程度まで迫ることができる。いつ何が起こったかとか、誰が誰と同一人物かといったようなことについては、「現在」の人々は最後までにある程度開示を受けることができる。ところが、注意して見ているとわかるのだが、「過去」の話で一番ごちゃごちゃしてオモシロかった人々の恋愛感情とかセックススキャンダルと、それにまつわる心のひだについては、「現在」の人はほとんど情報を得ていない。記録から過去に迫ることには大きな歓びがあるが、一方でそこから抜け落ちてしまう、再現性もなければ記録にも残らないような感情が人生を作っているのである。

 こういうふうに哲学的なテーマをいろいろと扱っている作品であるのだが、ユーモアに富んでいるし、ステレオタイプにはまらない人物描写が多いのもいいと思う。男性を理性、女性を感情と描き分けるのはありがちなステレオタイプだが、面白いことにこの作品では男性=感情、女性=理性という、ふつうの型とは逆の性格造形が行われている。「過去」の時点では、男たちと、それにからむ既婚女性たちがセックスと愛の情熱にふりまわされている一方、トマシナは極めて明敏で理性の側にいる人として描かれている。「現在」では、バーナードが情熱ばかりで失敗するのに対してハンナは理性的だ。しかしながらどの人物も人間味があるように肉付けされていて、生き生きしている。

 演出としては、ちょっと音の使い方と台詞回しに文句があるかなーという感じだった。役者が若干台詞をとちったり、聞こえづらい話し方をしたりしている場面があり、ちょっと難しい台詞をなかなか扱いかねているのかなと思うところもあった。あと、音楽とか機械の騒音の処理についてももう少し台詞とかぶらないような洗練された処理ができるのではという気がした。演技については、台詞回しがたまに聞き取りづらかった以外は良かったと思う。とくに堤真一演じるものすごくイヤな英文学者はリアルだ!