とにかく不愉快だったが、コンセプト的にはそれでOKなのかも〜ゲッコーパレート『ヘンリー六世』

 北千住アートセンターBUoYでゲッコーパレード『ヘンリー六世』を見てきた。

 BUoYの地下はほとんど何もないブラックボックスで、舞台もないので平たい部屋のいろいろなところでアクションが行われる。観客はアクションの場所に応じて移動して見ることになる。お茶とお菓子も出たりする。少人数の役者でとっかえひっかえいろんな役をやる。

 『ヘンリー六世』三部作を一時間半くらいでやるというものなのだが、話を伝えるのはほとんど放棄しており、ダイジェストにもなっていない。途中から時間が逆走するし、キーになる場面のはずの花選びの場面もないので、政治的な含意は全くわからなくなっている。一方でヘンリー六世はちゃんと視点人物として存在はしているので、とにかく無力でバカなヘンリー六世にムカつく展開になっている。とくに終盤は前半で死んだはずの人たちが死ぬ場面がもう一度出てきた後、親子が殺し合う凄惨な場面で何もせずボーっとしていただけのヘンリー六世が「オレのほうが悲しい!」みたいに嘆くところで終わるので、私は全くものすごくムカついてヘンリーさっさと死ねやクズみたいに思ってしまった。とにかくヘンリーの行動が不愉快な『ヘンリー六世』になっていると思う…のだが、おそらく楽しい芝居とか政治的な芝居を作るつもりはなかったのだろうと思うので(そうだったらあんな傍観者ヘンリーを中心にはしないだろう)、コンセプト的にはそれで正しいのかもしれない。

 しかしながら正直、『ヘンリー六世』三部作をこういうふうに上演するのが面白いとは全く思えなかった。やたらに時系列をいじくる上演はもう飽きたし、よっぽど工夫しないとつまらないと思う。さらにそれって薔薇戦争サイクルでやることなのだろうかと思う。『ハムレット』みたいなたまに時間止まる芝居なら時系列をいじくってもけっこう成立するし、ゲッコーパレードが前にやった『ハムレット』は同じ調子で古民家を使ってスラップスティックな感じにしていてわりと良かったと思うのだが、薔薇戦争サイクルみたいな、不可逆なはずの歴史なのになぜか最初に戻ってしまうみたいな不条理な殺し合いの芝居をさらに循環させてなんか意味あるのかと思う。