問題劇を問題なく解決する〜『ナイツ・テイルー騎士物語ー』(ネタバレあり)

 『ナイツ・テイルー騎士物語ー』を見てきた。めったに上演されないシェイクスピアとジョン・フレッチャー共作のレア劇『二人の貴公子』のミュージカル化で、ジョン・ケアードが演出、主演は堂本光一井上芳雄ということで、チケットの入手が大変だったのだが、なんとほぼあきらめていた生協の共同購入抽選で手に入れることができた…私もこの作品は翻案を入れても2回しか見たことがないので、とても珍しい機会だ。

 この話は現代人からするとかなり受け入れにくい内容を含んでおり、原作は問題劇と言って差し支えないと思う。古代ギリシアアテネとテーベが舞台で、いとこで熱烈な友情で結ばれたテーベの貴公子で戦争捕虜としてアテネで投獄されていたアーサイトとパラモンがアマゾンの姫エミーリアに恋したせいで、同じ女性の愛をめぐって争うようになる…という物語なのだが、原作はエミーリアのために二人が決闘し、勝利したはずのアーサイトが落馬して死んでしまい、結局エミーリアはパラモンと結婚するというオチになる。さらに脇筋として、パラモンに恋して彼の脱獄を助ける牢番の娘の話があるのだが、この娘は恋煩いで狂気に陥り、治療と称して別の求婚者と結婚することになる。エミーリアは別に結婚したいのかどうかもわからないような感じだし、牢番の娘は騙されたみたいな感じでもとの恋を諦めて結婚することになるし、メインキャラクターの決闘はなんだかよくわからない形で決着がつくし、実にすっきりしない終わり方の話だ。

 しかしながら『ナイツ・テイル』のほうは、このすっきりしない話をちゃんと現代人も納得できるように落とそうと、かなり台本を変更している。まず、エミーリア(音月桂)は原作ではアテネ公シーシアスの妻となるアマゾンの女王ヒポリタの妹で本人もアマゾンなのだが、この芝居ではシーシアス(岸祐二)の妹というふうに変更されており、ヒポリタ(島田歌穂)と女同士の友情を育んだ後、終盤で地元の森に住む牢番の娘フラヴィーナ(上白石萌音)と幼友達であったことが明かされる(原作では、フラヴィーナという女性は台詞で出てくるだけで実際に舞台には出てこない)。牢番の娘をパラモン(井上芳雄)とくっつけちゃえばもっとすっきりした話になるというのは17世紀の人も考えていたことで、そういう翻案もあるのだが、こちらの作品もそういうオチになっており、パラモンは脱走した時からかなりフラヴィーナのことを気にかけていて、エミーリアに対する恋心についてはアーサイトと張り合うために好きだとか言ってるだけで、実はそこまででもないんじゃないか…という感じの演出になっている。一方でアーサイト(堂本光一)はちょっとバカな感じだが感じの良い青年で、エミーリアは子供っぽいところはあるもののもう少し思慮深そうなパラモンよりも、単純でからっとしたアーサイトに惹かれているという設定になっている。最後は友情で結ばれたヒポリタ、エミーリア、フラヴィーナがシーシアス、アーサイト、パラモンという三人の勘違いした男たちを説得し、女神アテナのご加護で三組のカップルが愛し合って結ばれるというオチになっている。女性たちの友情、知恵、愛の力を強調した結末で、幸福感のある和解で終わる。原作のほうについては、異性同士の結婚で終わるにもかかわらず同性同士の結びつきのほうが価値があると思えるような妙な終わり方になっているとよく言われるのだが、この翻案は異性間の愛も同性間の友情も等しく重要だとメッセージをこめた話になっている。

 そういうわけで、原作のようないろいろ考えさせられる不思議なひっかかり感はなくなってしまったものの、現代風なよくできたお芝居として非常にすっきりした構成の物語になっている。左右から舞台上方にかけては尖った印象を与えるちょっと冷たい感じのセットを配置する一方、真ん中には丸い花畑など柔らかい印象の場所を作って戦いと愛の対比をつけるという舞台デザインはゴージャスでかなりよく効いているし、女性陣のキャラクターがよくわかるドレスの色分けなど細かいところに気を配った衣装も素敵だ。とくに良かったのは細やかな友情をうまく表現していた女性陣の演技だが、微妙に性格が違う堂本アーサイトと井上パラモンのキャラクターにもメリハリがあったし、この二人がくだらないことで言い争いをしたりするような場面はかなり笑えた。歌については、堂本アーサイトに比べるとやはり井上パラモンのほうが明らかにミュージカルスターという感じで堂々としていて巧妙だったが、ダンスとか笑わせるほうでは堂本アーサイトもかなり芸達者で驚いた。