いいところはあるのだが、いくつか大きな問題が…『歌うシャイロック』

 鄭義信が台本・演出をつとめた『歌うシャイロック』を池袋のサンシャイン劇場で見てきた。『ヴェニスの商人』の翻案である。鄭義信はこれまでにもシェイクスピアの翻案として『泣くロミオと怒るジュリエット』や『赤道の下のマクベス』を作っている。既に韓国と神戸で上演された作品で、再演である。

 場所はヴェニスで名前などもだいたい変わっていない(なぜかバッサーニオはパッサーニオになっているが)。ただし、ジェシカ(中村ゆり)とロレンゾー(和田正人)の筋を中心に大きな変更がある。ロレンゾーは吃音症でいじめられていたのが、ジェシカと駆け落ちした後、ロレンゾーは人が変わったように悪い意味での自信を持って妻を軽視するようになり、夫と不仲になったジェシカが精神を病んで父のところに戻ってくるという展開がある。他にもポーシャ(真琴つばさ)があまり最初のうちはパッサーニオ(岡田義徳)との結婚にあまりウキウキしていなかったり、最後にアントーニオ(渡部豪太)とパッサーニオの間に明らかな不和の種が生まれたりするところはかなり違っている。

 岸谷五朗シャイロックは良かったし、関東大震災での在日コリアンの殺害や、中東欧でのホロコーストなどを示唆する終わり方も悪くない。いろいろレイシズムの問題を盛り込んでいるところは意欲的ではあるのだが、一箇所、どうしても受け入れられないところがあった。ポーシャに求婚するモロッコ大公(マギー)が、偃月刀を振り回しながら「ウホ!ウホ!」と叫ぶお付きたちと一緒に踊りながら入ってくるのだが、いくらなんでもレイシズム批判をしている公演で、こんなアフリカの人をちょっと猿っぽくド田舎の笑える人みたいな様子で演出するやり方は駄目では…と思った。最近の『ヴェニスの商人』はモロッコ大公をどうするかがけっこう問題になることも多いと思うのだが、こういうのはやめたほうがいいと思う。

 また、タイトルが『歌うシャイロック』だがあんまり歌はいらないのでは…と思った。わりといろいろ現代風に台詞を補っているので、歌がなくてもいいように思う。さらにジェシカの狂気についても、私はそんなに良いと思わない…というか、清純な女性の狂気を見せ物にして観客の憐れみを誘うというのは既に『ハムレット』でお腹いっぱいで、女性ばかりそういう役割を負わされているところがあるので、新たに別のシェイクスピア作品にそういうちょっとジェンダー的に偏りがちな表現を入れなくてもいいのではと思った。